2007年04月20日

エルトヴィレ城廃墟(Burgruine Eltville)

 14世紀からあるほぼ四角柱の居住塔があり、多角形の階段塔が中庭のほうにある。宮殿から河にかけて西翼が城壁と一体となっている。北と南にツヴィンガーだったと思われるものが残る。ブルクはおよそ深さ5mの堀で守られていたが、現在そこには水がなく、駐車場として使われている。東翼は1683年に新しくなり、その後何度も改修されて別の目的で使用されるようになった。

 エルトヴィレの街の起こりはローマ時代にまでさかのぼり、1060年にここは「Alta Villa」と呼ばれていたことが分かっている。
 12世紀にマインツ大司教のコンラート1世により水城が建築された。1165年、1243年に通行税をめぐるフェーデがあり、1301年に破壊されてしまった。
 14世紀に大司教と都市の間に争いが勃発した。エルトヴィレはブルクをより強固なものにした。おそらく城の古い部分がこの時のもの。
 1328年に法王ヨハネ12世がボンの司祭をマインツ司教にしようとしたのに対し、皇帝はハインリッヒ・フォン・ヴィルネブルクを推したので争いになり、ハインリッヒ・フォン・ヴィルネブルクは城を増強した。そして1339年にマインツ軍により城は焼け落ちた。
 そして1345〜47年に街を守るために城は再び建てられた。15世紀の初めにライン選帝侯、国王ルプレヒト、大司教ヨハン・フォン・ナッサウにより、城は増強され、大司教の政庁としてよく利用された。
 1584年、ザクセン選帝侯アウグストが毎日のようにシュヴァルバッハから水が運び込むために、100人以上の兵士を連れて来た。城の周囲で攻防があったかどうかは定かではない。
 30年戦争で、スウェーデン軍により破壊され、19世紀の半ばまで放置されたままの状態だった。
 1806年はナッサウ公国、1867年にプロイセンの所有となっていたが、1936年にエルトヴィレ市と協定を結び、一般見学ができるようになった。
タグ:ヘッセン
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2007年04月16日

デトモルト城(Schloss Detmold)

 ドイツ北部最大の四翼のルネッサンスシュロス。水城。

 ドイツ北部で有名な二人のルネッサンス建築家(イェルグ・ウンカイルとコルト・テニース)により建てられた。
 中世からある部分は1547年の大火により失われてしまっている。
 近世初期に円形の稜堡が設けられ、城館(シュロス)と要塞の機能を併せ持つようになった。
 現在も侯爵一家がご住まいになっており、収集された美術品の数々を公開している。

 およそ起源ごろにこの値への入植が始まる。
 800年ごろ、カール大帝の時代、現在の旧市街地区に最初の領主、アインハルトの住まいがあった。783年に近くでザクセンとフランケンの戦闘があった。この頃はテオトマリと呼ばれていた。
 1011年ドイツ国王からパダーボルン司教にこの地の権利を贈られた。
 1180年、皇帝フリードリッヒ1世バルバロッサがハインリッヒ獅子公、ザクセン・バイエルン公との権力闘争があり、その時の城主ベルンハルト2世はハインリッヒ側に付いた。近隣の公爵家の家々が破壊される中、デトモルトは破壊を奇跡的に免れた。
 
 デトモルドの水城は遅くとも1270年には建てられていた。同時に街も建設された。
 1429年、ジモンス4世が若くして亡くなると、相続争いがおこり、1447年にフェーデが勃発してしまった。その際、城と都市が焼失してしまった。
 それから100年の後、リッペ伯のものになり、シュマールカルディッシュの戦いの際にはプロテスタントのヘッセン方伯側についた。そして当然のごとくデトモルトは焼け落ち、破壊されてしまった。
 1586年から1613年の間にリッペ伯のメイン宮殿として改築された。
 30年戦争後、文化が花開き、街と城が増築されていった。
 ヨハネス・ブラームス、フランツ・リストがピアノ教師として侯爵レオポルド3世もの下に仕えていたこともある。
 1895年、リッペの後継者争いが起き、ザクセン王を議長にして和解し、エルンスト・ツア・リッペ・ビースターフェルトの摂政政治を行うことになった。このリッペ・ビースターフェルト家が現在のリッペ家である。

 大戦後、多くの貴族がそうであったように、デトモルトもまた政治の権利はは貴族からドイツへと変遷したが、私有部分と国有部分に分けられ、管理されている。

Schloss Detmold


 もうちょっとこの城について纏まったら、ちょ〜久しぶりにメルマガでも書いてみっかな。
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2007年04月11日

東方殖民と食糧生産

 1000年ごろ、ドイツとスカンジナビアには400万人しか住んでいなかった。それが14世紀中ごろには1160万人膨れ上がった。出生率は平均5人。その背景にはそれを支える食糧生産の大幅な増加がある。地層から採取された穀物花粉の分析からも、それは明らかになっている。

 12世紀、新しい入植地を探し求め、原生林を切り開き、荒野や湿地を開拓していき、農地が大幅に増加した。この頃の国土面積に対する農地面積は現在よりも広く、森林面積は現在よりも小さかった。自然のままに残る土地はほとんどなくなり、人工的な土地ばかりとなり、そういった意味では現在とほとんど警官は変わらない。
 また二圃式農業から三圃式農業へと変遷し、農機具も発達して木製のものだったものが先端部分を鉄製にしたものが広がったことでより深く効率よく耕せるようになりり、単位面積当たりの食料も増加した。
 そして更なる入植地を探し求め、東方へと広がっていった。東方入植を促すため、領主は税制面で優遇するなどして農民を集めた。東方殖民はポーランド、ロシア、チェコ方面へと広がっていった。しかし東方殖民地では当初税制面などで恵まれていたが、次第に土地と切り離されて不自由な隷農民となってしまった。この時代の東方殖民地が後のドイツ民主共和国(旧東ドイツ)となるわけだが、西と東の境界は全くの偶然ではなく、国民性の違いもこのような歴史的背景と関係している。
 
 入植に伴って新たな村や町ができた。現在のドイツの都市のほとんどは、12、3世紀頃に起源を持つ。そして同時に多くのブルクが建てられた。貴族たちだけでなく不自由民のミニステリアーレたちもブルクを建てたが、ミニステリアーレもまた14、5世紀には貴族化した。

 12世紀の終わりごろまでに、開墾できる土地は開墾しつくされた。農業技術の発達により食糧も増産されたものの、肥料を施す知識はなかったため、14世紀ごろには地力が衰え始め、食糧生産は減少していった。
タグ:中世後期
posted by ぺんた at 22:46| Comment(0) | TrackBack(0) | ドイツの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月02日

ローテンブルク城廃墟(Burgruine Rothenburg)

 ローテンブルクシリーズをやりたくなってしまったので、またローテンブルク。赤い色(Rot)をしたブルクなのでローテンブルクと名づけられたのだ。他のローテンブルクも赤いブルクだからローテンブルクという名前なのだ。

 観光地として日本人には有名なロマンティック街道のローテンブルク・オプ・デア・タウバーとドイツ木組み街道のローテンブルク・アン・デア・フルダ等の他のローテンブルクこちらからどうぞ。

 チューリンゲンのキフホイザー山地にあるブルク廃墟。赤い砂岩を使用しているので赤い城となっている。 モダンに増築されたフォアブルクの奥、山の突出部にケルンブルクがあり、城壁を囲むように堀がある。ケルンブルクは卵形をしており、攻撃側部分には巨大な円形のベルクフリート。直径は12m、壁の厚さは2.7m。

 1116年、もしくは1103年から1150年にかけて、クリスティアン1世・フォン・ローテンブルクによって建てられた。
 ローテンブルク家が1200年ごろに途絶えた後は、バイヒリンゲン伯フリードリッヒが相続した。
 シュタウフェン家とヴェルフェン家が争いをしているとき、この城は重要な役割を果たし、1212年に皇帝オットー4世軍はこの城を占拠した。
 13世紀以降はチューリンゲン方伯圏となり、1300年ごろ、この城には有名なミンネゼンガーのクリスティアン・フォン・ルピンが訪れている。
 14世紀からはめまぐるしく城主が変わり、1576年に最後の伯爵家が途絶えた。それ以後は放置され、廃墟となっていった。
 19世紀にピクニック休憩所が設けられ、シニア雇用により維持管理が行われており、私有地らしい。

Burgruine Rothenburg

写真を見ると、かつては立派なブルクであったことが想像できます。
posted by ぺんた at 14:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 古城たち(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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