ドイツ北部で有名な二人のルネッサンス建築家(イェルグ・ウンカイルとコルト・テニース)により建てられた。
中世からある部分は1547年の大火により失われてしまっている。
近世初期に円形の稜堡が設けられ、城館(シュロス)と要塞の機能を併せ持つようになった。
現在も侯爵一家がご住まいになっており、収集された美術品の数々を公開している。
およそ起源ごろにこの値への入植が始まる。
800年ごろ、カール大帝の時代、現在の旧市街地区に最初の領主、アインハルトの住まいがあった。783年に近くでザクセンとフランケンの戦闘があった。この頃はテオトマリと呼ばれていた。
1011年ドイツ国王からパダーボルン司教にこの地の権利を贈られた。
1180年、皇帝フリードリッヒ1世バルバロッサがハインリッヒ獅子公、ザクセン・バイエルン公との権力闘争があり、その時の城主ベルンハルト2世はハインリッヒ側に付いた。近隣の公爵家の家々が破壊される中、デトモルトは破壊を奇跡的に免れた。
デトモルドの水城は遅くとも1270年には建てられていた。同時に街も建設された。
1429年、ジモンス4世が若くして亡くなると、相続争いがおこり、1447年にフェーデが勃発してしまった。その際、城と都市が焼失してしまった。
それから100年の後、リッペ伯のものになり、シュマールカルディッシュの戦いの際にはプロテスタントのヘッセン方伯側についた。そして当然のごとくデトモルトは焼け落ち、破壊されてしまった。
1586年から1613年の間にリッペ伯のメイン宮殿として改築された。
30年戦争後、文化が花開き、街と城が増築されていった。
ヨハネス・ブラームス、フランツ・リストがピアノ教師として侯爵レオポルド3世もの下に仕えていたこともある。
1895年、リッペの後継者争いが起き、ザクセン王を議長にして和解し、エルンスト・ツア・リッペ・ビースターフェルトの摂政政治を行うことになった。このリッペ・ビースターフェルト家が現在のリッペ家である。
大戦後、多くの貴族がそうであったように、デトモルトもまた政治の権利はは貴族からドイツへと変遷したが、私有部分と国有部分に分けられ、管理されている。
Schloss Detmold
もうちょっとこの城について纏まったら、ちょ〜久しぶりにメルマガでも書いてみっかな。