エルトヴィレの街の起こりはローマ時代にまでさかのぼり、1060年にここは「Alta Villa」と呼ばれていたことが分かっている。
12世紀にマインツ大司教のコンラート1世により水城が建築された。1165年、1243年に通行税をめぐるフェーデがあり、1301年に破壊されてしまった。
14世紀に大司教と都市の間に争いが勃発した。エルトヴィレはブルクをより強固なものにした。おそらく城の古い部分がこの時のもの。
1328年に法王ヨハネ12世がボンの司祭をマインツ司教にしようとしたのに対し、皇帝はハインリッヒ・フォン・ヴィルネブルクを推したので争いになり、ハインリッヒ・フォン・ヴィルネブルクは城を増強した。そして1339年にマインツ軍により城は焼け落ちた。
そして1345〜47年に街を守るために城は再び建てられた。15世紀の初めにライン選帝侯、国王ルプレヒト、大司教ヨハン・フォン・ナッサウにより、城は増強され、大司教の政庁としてよく利用された。
1584年、ザクセン選帝侯アウグストが毎日のようにシュヴァルバッハから水が運び込むために、100人以上の兵士を連れて来た。城の周囲で攻防があったかどうかは定かではない。
30年戦争で、スウェーデン軍により破壊され、19世紀の半ばまで放置されたままの状態だった。
1806年はナッサウ公国、1867年にプロイセンの所有となっていたが、1936年にエルトヴィレ市と協定を結び、一般見学ができるようになった。
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