2007年03月24日

中世の城、ブルク

 ブルクとは軍事機能を持つ城のこと、城砦。周辺住民の安全を確保する場所でもあり、領主の館でもあったところ。

 先史時代より外的に襲われたときに逃げ込む“Fliehburgen(避難ブルク”が小高い丘の上に存在していた。時代が進むと、そこは上流階級が屋敷を構えるようになる。

 9,10世紀、ブルクは水掘りのある小さな塔を持つようになる。人工的な丘(独:Motten、英:motte)を作り、その上に塔を建てた。建物も柵も基本的に木製。建物は下の階は石造りでも、上階は木製。このようなブルク様式は、ノルマン人が得意としている。
 大きな水城はこの頃の城に由来していることが多い。

 11,12世紀ごろ、本格的に山城が登場するようになる。山の頂上や、出っ張りの部分に城を築き、突出した部分に城を築いた場合尾根側には堀を設けた。
 ローマ帝国の国境を監視する見張り塔を“Burgi”と読んでいたことから、ドイツ語の“Burg”という言葉が派生した。

 住居塔のブルク。底辺が10m四方または15×20m、壁の厚さ2〜3mで何階もある塔で居住できる空間がある塔が出現した。住居塔は“Kemetate”と呼ばれる。

 ブルクは領主が街道をコントロールしたり、境界を守備したり、軍事的中心地として建てられた。戦争時、周辺住民はブルクに逃げ込むことになっている。いくつかの文献では、実際に周辺住民が避難してきたという記述もある。しかし、すべてのブルクでそれが許されていたとは限らないと思う。
 基本的には攻撃よりも敵の攻撃から守ることを主体として建てられている。
 しかしこのような中世のブルクは剣と楯と弓の時代はよかったが、火器が発達してくると時代に合わなくなっていった。

 地域によって差はあるが、ドイツ中央部(ヘッセン)では1150年から1520年までゴシック様式、1550年以降はルネッサンス様式が見られるようになった。
 1550年ごろ、時代は住居と軍事的要塞を兼ね備えたブルクから、居住のためのシュロス(Schloss:城館)と軍事的要塞(Festung:要塞)へと機能分化し、ブルクの時代は終焉することとなる。

 なお、このブルクの時代こそが騎士の時代である。騎士の住居こそがブルクで、ブルクの主人こそ騎士である。そしてブルクの時代の終焉とともに騎士の時代も終わりを迎えている。
タグ:ブルク
posted by ぺんた at 08:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 城砦の知識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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