2007年06月10日

カール大帝の愛娘の恋物語(インゲルハイム宮殿に残る伝説)

 マインツ近郊、赤ワインの町インゲルハイム(Ingelheim)には、カール大帝の宮殿跡がある。カール大帝の息子、ルイ敬虔王(ドイツ語ではルードヴィッヒ:Ludwig der Fromme)はこの地を何度も訪れ、ここで814年に亡くなっている。

 趣き変えて、純愛物語。


 カール大帝は、ワインの産地が近く、景観も美しいこの地を気に入り、ここで数ヶ月をすごした(ただし滞在経験は一度だけ)。 
 大帝とローマ人女性との間に、エマと言う名の娘が生まれ、インゲルハイムで育った。エマには教師を多くつけたが、その中に機密書記官のアインハルトがいた。アインハルトは若い男性で、カール大帝のような堂々とした風格をしていた。アインハルトはあの事件が起こる前までは、無条件に信頼されていた。その事件はアインハルトにとって代償が大きいものとなってしまった。
 エマは母親からしてみればまだまだ子供であったが、その心は火がつきやすく、その炎は藁の火ではなく、燃え上がる炎となっていた。アインハルトは自分の仕える主君の娘であることもあり、すべてにおいて控えめな態度をとっていた。しかし娘が魅力的な女性へと成長するにつれ、アインハルトは気持ちを抑えることができなくなり、日に日に彼女の教師でいることが難しくなってしまった。公の場でアインハルトはエマに対してどう振舞っていいのか分からなくなり、エマもまた分からなくなってしまった。そしてこのことは当然秘密にしておかなければならないことだった。

 ある冬の雪の日の早朝、アインハルトが宮殿の女性の部屋から立ち去ろうとするときに、雪に足跡が残ってしまう。エマは策をめぐらせ、足跡が残らないように彼を背負って中庭へと運ぶことにした。だがこのことは愛し合う二人にとって命取りとなってしまった。
 明るい満月の夜、王はある囁きを聞いた。王は囁きのするほうへと進み、窓のところへ来た。そこで王は愛娘が男を背負って歩いているところを見てしまった。王は怪訝に思った。怒りがアインハルトに向かった。しかし同時に愛娘を不幸にすることはできず、躊躇し、一晩中悩んだ。翌朝王は側近に、
「他人の男と一晩過ごした娘は王家にふさわしいか?」
と聞いてみた。アインハルトはこの言葉にギクッとし、主人に自分のことをすべて告白した。王は何も聞こうとはしなかった。
「陛下、お嬢様はやさしいお方です。」
しかし、カール王は聞こえない振りをしているようだった。
「その男は夜、女性たちの部屋に忍び込んだのですか?何をしたのですか?」
 アインハルトは叫んだが、王の唯一つの、有罪を宣告する言葉を知っていた。
「死刑にせよ!」
アインハルトはすべてを失い、断頭台へと送られることになった。
 王は玉座を立ち、アインハルトは付き従った。前室のドアが開き、そこにはエマが立っていた。エマは怒りに燃える父の顔を見、何が起こったのかすべてを悟った。エマひざまづき、
「お父様、どうかお許しを!彼は私のすべてよ!かけがえのない人よ!」
アインハルトもまた、深くひざまづき、王でありかつ主君であるエマの父に許しを願った。
 王は目を閉じて考えに考えた。
「恋人たちを誰も離しはしないさ。近いうちに指輪を交換するといい。お祝いしよう。そしてどこか遠くへ出て行け!」
そう言って王はドアから出て行き、残った二人は抱合って泣いた。次の日二人は早速インゲルハイムの宮殿を旅立った。カール王もまたインゲルハイムに戻ることはなかった。

 カール王はザクセンの反乱を沈め、アーヘンで病気療養し、ローマに赴いて載冠し、ローマ皇帝となった。

 ある時カール大帝は狩猟の旅に出かけた。河に弱った鹿がいたが追いかけることができなかった。もう日は暮れて薄暗くなっていたからだ。そこは野生の動物が多く、ここで夜を明かすべきかどうか迷った。空に一番星が輝くころ、遠くにかすかな光を見つけた。注意深く光の先に馬を進め、そして小屋を見つけた。そこには人が住んでおり、金色の髭を蓄えた大柄な男性がいた。狩りで道に迷い、一晩泊めてもらえないかと頼んだ。
 男性はカール大帝を中に入れた。部屋に小さな男の子を膝に抱えた若い女性がいた。男性と女性をじっと見た。皇帝は何も食べようとはしなかった。あまりにも疲れすぎていたのだ。忘れ去った古い時を思い起こしていた。子供を抱いた女性のことを考えていた。「なんという名だったか?エマだったか?どのくらいここにいるんだ?あの頃はまだ小さな女の子だった。5歳だったな。」悲しげに愛娘の小さな頃のことを考えていた。年老いた男はつぶやいた。
「きみはなんていうんだ、私の子?」
「私はエマよ!」
皇帝の目に涙が流れた。
これは夢なのか?私のいなくなった娘、そして息子、エマとアインハルトにまた会えるなんて!泣いて抱合って、再会を喜び合った。
 カール大帝は、一度は勘当した娘たちを連れ、一緒に宮殿へと帰った。

 エマとアインハルトが暮らしていた小屋は発見され、そこに教会が建てられた。そしてエマとアインハルトは今そこに眠っている。


Kaiserpfalz Ingelhaim

 サイトには歴史のほかに発掘の様子や再現図も紹介されています。
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2007年04月20日

エルトヴィレ城廃墟(Burgruine Eltville)

 14世紀からあるほぼ四角柱の居住塔があり、多角形の階段塔が中庭のほうにある。宮殿から河にかけて西翼が城壁と一体となっている。北と南にツヴィンガーだったと思われるものが残る。ブルクはおよそ深さ5mの堀で守られていたが、現在そこには水がなく、駐車場として使われている。東翼は1683年に新しくなり、その後何度も改修されて別の目的で使用されるようになった。

 エルトヴィレの街の起こりはローマ時代にまでさかのぼり、1060年にここは「Alta Villa」と呼ばれていたことが分かっている。
 12世紀にマインツ大司教のコンラート1世により水城が建築された。1165年、1243年に通行税をめぐるフェーデがあり、1301年に破壊されてしまった。
 14世紀に大司教と都市の間に争いが勃発した。エルトヴィレはブルクをより強固なものにした。おそらく城の古い部分がこの時のもの。
 1328年に法王ヨハネ12世がボンの司祭をマインツ司教にしようとしたのに対し、皇帝はハインリッヒ・フォン・ヴィルネブルクを推したので争いになり、ハインリッヒ・フォン・ヴィルネブルクは城を増強した。そして1339年にマインツ軍により城は焼け落ちた。
 そして1345〜47年に街を守るために城は再び建てられた。15世紀の初めにライン選帝侯、国王ルプレヒト、大司教ヨハン・フォン・ナッサウにより、城は増強され、大司教の政庁としてよく利用された。
 1584年、ザクセン選帝侯アウグストが毎日のようにシュヴァルバッハから水が運び込むために、100人以上の兵士を連れて来た。城の周囲で攻防があったかどうかは定かではない。
 30年戦争で、スウェーデン軍により破壊され、19世紀の半ばまで放置されたままの状態だった。
 1806年はナッサウ公国、1867年にプロイセンの所有となっていたが、1936年にエルトヴィレ市と協定を結び、一般見学ができるようになった。
タグ:ヘッセン
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2007年03月14日

エーレンフェルス城跡(Burgruine Ehrenfels)

 リューデスハイムの北、山の斜面に立つ城の廃墟。4.6mの厚さ、高さ20mの盾城壁があり、直径7m、高さ33mの塔を持つ。
 山の斜面の城の廃墟と、河を行く船、山の麓を走る車が組み合わせが美しい。その周囲はブドウ畑が広がっています。

エーレンフェルス

 983年から1200年までは正式なことは分かっていないが、1150年ごろ、騎士ヴィダーショルが塔のあるブルクに居住していた。
 1200年から1208年のフィリップ・フォン・シュヴァーベンとオットー、ハインリッヒ獅子公、マインツ司教間の争いに関係している。1211年にミニステリアーレのフィリップ・ヴォン・ボーランデンにより改築された。フィリップの死後、ベアトリクス夫人がディートリッヒ・フォン・ハインスベルクと結婚することにより、相続問題が生じるが、判決により国王側から司教のものとなる。
 13世紀中ごろは司教の税関城として使用される。1301、1302年に税争いが選帝侯と国王の間で起こり、5年はゴットフリート・フォン・ブラウンエックが管理することになる。
 1353年、売りに出され、ゲアラッハ・フォン・ナッサウが購入する。以後、平穏な時代が続く。
 30年戦争が勃発。フランス軍の攻撃により、城は破壊される。
 19世紀の終わり、一部が新ゴシック様式になる。
 1866年、プロイセン王国のものになり、現在はヘッセン州が保護活動をしている。

Burg Ehrenfels
タグ:ヘッセン
posted by ぺんた at 20:40| Comment(0) | TrackBack(0) | ライン下り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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