2007年03月15日

ローテンブルク城跡(Burgruine Rothenburg ob der Tauber)

 ローテンブルクの現ブルクガルテン。ここにはかつて城が建っていた。それもカイザーブルク。
 このブルクガルテンから眺める第3城壁は絶好の写真ポイントだと思う。お勧めです。街がどういうところに建っているのかも、よく分かります。湾曲するタウバー川に三方を囲まれ、城を建てたくなる場所だということがよく分かります。タウバー川の谷と、その上にそびえる街並みが美しいです。写真はブルクガルテンから撮った写真です。

P1010014.JPG

 ブルクガルテンに城の名残である塔が建っていますが、この塔、よく見ると、表面に出ている部分が丸みを帯びた方形の石(Buckelquader と言う)で作られております。この形状は主体フェン朝時代のドイツのみに見られるものです。この形を見たら、シュタイフェン朝時代(1150-1250)のものと思って間違いありません。

 城下町はこの城の元に商人が集まってできたものです。

970年頃、ローテンブルク家のグラーフェンブルク(Grafenburg)がここに建てられる。
1116年、皇帝ハインリッヒ5世(Heinrich V.)は甥のコンラート・フォン・シュヴァーベン(Konrad von Schwaben)に封土として与える。このコンラートは後にドイツ国王コンラート3世になる。
1152年、王位は甥のフリードリッヒ1世赤髭王(Friedrich I. Barbarossa)が引き継ぐ。 フリードリッヒ1世はローテンブルクで育ち、皇帝に就いたときはまだ8歳で、ローテンブルクど童子とあだ名されていた。赤髭王(バルバロッサ)といったら、ドイツの中世を語るに度々登場する超人気のある皇帝。
1157年、皇帝ハインリッヒ5世の息子,フリードリッヒは騎士叙任式を受け、ザクセン公ハインリッヒ獅子(Heinrich der Löwe)の娘と結婚。
1167年、フリードリッヒはイタリア遠征中に死去。赤髭王が遺産を相続。
13世紀、シュタウフェン家の断絶と共に、城は放棄された。コームブルク修道院に寄進され、地震で壊れるまでは修道院のものになる。
1274年、都市ローテンブルクは帝国自由都市となる。
1356年、ドイツにしては珍しく地震があり、城と都市は甚大な被害を受けた。すでに無人となっていた城の石材等は、都市の再建に利用された。

 こうして城は姿を消した。城は消えたが、その城下町は残り、栄えます。シュタイフェン朝時代はシュタイフェン朝の役人が納めていましたが、やがて城主はいなくなり、帝国都市となり、市民が管理していくことになりました。

 なお、ローテンブルクという名はもう1つ、フルダ川沿いのがあり、それについてはこちらに書いてます。
posted by ぺんた at 22:25| Comment(0) | TrackBack(0) | ロマンティック街道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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