2007年03月21日

ローテンブルク城(Schloss Rothenbug an der Fulda)

 ロマンティック街道で有名なオプ・デア・タウバーのローテンブルクではない、アン・デア・フルダのローテンブルクだ。ロマンティック街道兼古城街道のローテンブルク・オプ・デア・タウバーについてはこちらに書いてます。。フルダ川沿いだからアン・デア・フルダ。ドイツ木組み建築街道のローテンブルクだ。城館だ。フルダ川沿いのローテンブルクもドイツ木組み建築街道もあまり有名じゃないけど。カッセル(Kassel)からだいたい南南東に10kmぐらい行ったところにある城。
 閉じた四翼の施設で3階建て、四方に塔がある。

 起源は9世紀。ギゾー伯が城代を勤めていたが、後にチューリンゲン&ヘッセン方伯に相続されることとなる。
 最初にここを治めるためのブルクが建設され、すぐに街が出来上がったとされ、それが1248年。しかし現在城塞都市の姿は完全に消えている。
 1470年にヘッセン方伯ルードヴィッヒ2世がフルダを直轄し、シュロスを建てたが100年後に焼失。何度も建設しては破壊されることを繰り返した。
 現在のシュロスは1540年にフィリップ大方伯が建てたもの。
 フィリップ大方伯の死後、領土は4人の息子たちに分割され、ここはヴィルヘルム4世の治めることになった。1570年以降、城はルネッサンス様式となった。
 1607年にモーリッツじ方伯がシュロスを完成させ、新館に滞在した。
 それ以降城の姿はほとんど現在と変わらないが、強いて言えば1790年に大規模な改築があったくらい。
 30年戦争後、ヘッセンは分割され、1627年以降は傍系家系に移る。
 18世紀も終わりになると老朽化が目立ち始め、1789年にフランス人建築家が改修工事を行った。
 1834年に傍系であるヘッセン・ローテンブルクが途絶え、ヘッセン・カッセルに戻った。
 1866年にプロイセンのヘッセン・ナッサウ州となり、城はプロイセンの管理下にはいるか、個人所有のままでいるか長いこと論争していた。
 1934年にはほぼ空家となっていた城を市が取得し、1945年は亡命者の仮宿舎そして使用された。

 現在は博物館として使用されているほか、学校(Landes-Finanzschule)としても使用されている。
posted by ぺんた at 16:36| Comment(0) | TrackBack(0) | ドイツ木組み建築街道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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